兵庫県立生野高等学校 同窓会ブログ3/生野義挙から150年を経て

各地でご活躍中の卒業生や友達、在校生、郷里、一般の皆さん、どんどんご参加下さい。このブログは、同窓会facebookに上げたオリジナル記事のうち、「生野義挙から150年を経て」シリーズを収録した「デジタルライブラリー」です。

生野義挙から150年を経て(番外編2)佐中千年家/進藤俊三郎(原六郎)の生家(2)

続いて、建物内部と当日の様子から。

先に触れたように、進藤家はこの旧佐中村一帯を支配した豪農で、源平期より27代も続く名家。

聞くと、現在の当主は地元を離れ、茨城県のつくば市にお住まい(大学教授)のようですが、今後地元にも時々帰ることを考えられているそうです。

この家は何より、明治期の郷土の大偉人「原六郎」の生家として知られます。

2-1 佐中千年家1写真 5

これは、大学院生一行に説明中の「中尾康彦」さん。この4月、兵庫県立大学(姫路)の修士大学院として、豊岡に「地域資源マネジメントコース」というコースが出来たそうです。

聞くと、考古学その他学際的研究を進めるそうで、朝来市役所の若手職員(足立徹さん、物部出身)も参加。地域おこしの強力な部隊として、今後の活動に期待したいものですね。

2-2 佐中千年家04_n

これは、公開日前日の大掃除の様子。(中尾氏のFBから)

これら2枚の写真に、家を支える「大黒柱」(材質はカキノキの大木)が見えますが、実はこの柱は既に腐朽し空洞。そのため、鉄の支柱で支えていますが、危ない状況なので、大黒柱(ケヤキ)の取り換え工事を近く予定しているとのこと。

2-3 佐中千年家2写真 5

これは、小屋裏の柱と梁の取り合い部分の木組み。江戸初期建設という古さを感じる技法でした。

2-4 「進藤俊三郎」(のち「原六郎」)

これは、「進藤俊三郎」(のち「原六郎」)の写真。(この家の座敷に挙げられていたものでなく、以前このFBでご紹介したもの)

2-5 佐中千年家1写真 3 2-6 佐中千年家1写真 4

この2枚は、この家の座敷に飾られていた写真。左が「原六郎」翁。右はその他の進藤家の人々。

 

この進藤家は国指定文化財ですが、老朽化し、維持管理もなかなか大変のようです。

全面修復の場合、2億円位かかるそうですが、みんなの力で未来に残して行きたいものですね。

(共同管理人:秋山恒夫)

生野義挙から150年を経て(番外編2)佐中千年家/進藤俊三郎(原六郎)の生家(2)」への1件のコメント

  1. akitsune3
    2014年6月15日

    【進藤俊三郎(のち原六郎)について】
     以前、このFBでこの人物を紹介しましたが、少し触れておきましょう。

     幕末期の生野義挙では、跡取りの兄「進藤丈右衛門」(銃器商)は参加しなかったが、弟「進藤俊三郎」は、「北垣晋太郎」(近くの能座村、6歳年上)に誘われ、弱冠21歳で参加。
     挙兵の時は、兄の影響で「武器調達役」。武器を京都で買い付け、生野に運ぶ途中、夜久野峠で破陣を知り、鳥取に逃亡。一度郷土に帰ったが追手の手が厳しく、親族から「やめろ」と諭されたとか。
     仲間と京都・江戸に潜伏したあと、長州軍に加わり、倒幕戦争に参加。
     明治初期に欧米留学のあと銀行他多数の会社を興し、「渋沢・安田・大倉・古河」とともに、「明治財閥5人男」と呼ばれた。

     このFBに上げた「進藤俊三郎」(のち「原六郎」)の記事はこちら。
    ■「生野義挙」から150年を経て(その14)
    義挙に参加した地元の豪農たち(3)「進藤俊三郎」(のち「原六郎」)
    https://www.facebook.com/ginreikai#!/photo.php?fbid=293141897499703&set=o.265782306865880&type=1&theater

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投稿日: 2014年6月15日 投稿者:

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